広瀬悦子/Etsuko Hirose Interview

知られざる名曲を現代に花開かせる

ピアニスト

広瀬悦子

写真・文 Hiroyuki Chiba



セルゲイ・リャプノフ『12の超絶技巧練習曲 op.11』

作曲家の名前と作品名からだけでは決して手に取る事がなかったであろうこの曲集を今聴いているのは、この人のおかげだ―

広瀬悦子さん。名古屋に生まれ、パリを拠点に国際的に活躍するピアニスト。

「ピアニストの人生がいくつあっても足りないくらいの曲がある」と言う中、なぜこの作品を2018年にリリースされたCDにおさめることを選ばれたのか。広瀬さんの歩んできた音楽との人生や世界を巡る旅のお話もうかがいながら、選曲に込めた想いをきいた。


母が与えた音楽に満ちた人生

8歳でアメリカ演奏旅行へ

音楽との出会いは生まれてすぐ。生後一ヶ月の時からお母さんが毎日クラシック音楽を聴かせてくれた。そして3歳からピアノに触れる。それは音楽だけでなく、広い世界で生きる人生を与えてくれることになった。

「母はアマチュアでピアノをやっていたのですが、私が生まれる前にチラシを見たスズキ・メソードの“母国語を覚えるように音楽を毎日繰り返し聴かせることで自然に音楽が身に付く”という考えに共感して朝から晩までクラシック音楽を聴かせてくれました。

私にピアノをやらせたかったということもあり、3歳の時にピアノを始めたのですが、スズキ・メソードには『テン・チルドレン』という毎年10人の子どもを選んでアメリカに一ヶ月間の演奏旅行に派遣するシステムがあります。私が8歳の時に初めて選ばれてアメリカへ行ったのが最初の海外渡航でした。一ヶ月の間に13、14回くらい演奏会をしてアメリカ各地を巡りました。


ピアノを離れると何もかも違うことが多すぎて、すぐに馴染めるものではなかったですね。ハンバーガーやバーベキューなどアメリカの食べ物はなかなか受付けずに一口くらいしか食べられず、痩せ細って帰った思い出があります。ただ、音楽を通じて心を開いてくれるというか、アメリカの人たちはとても盛り上げて褒めてくれるので、人とつながれるのは素晴らしいな、と感じました。あと、頻繁にコンサートで演奏するので、人前で演奏する楽しさやステージを怖がらなくなったことが大きかったですね。」


フランスでは「先生の言う通り」は✖️

10代になるとモスクワでのショパン青少年ピアノコンクール優勝をはじめ数々の国際コンクールで受賞、入学したパリの音楽院では首席で卒業するなど成績を残し、プロのピアニストへの道を切り開いていく。

「ロシアは素晴らしいピアニストを排出している国で、そこで評価されたことは、プロのピアニストになれるかなという自信が持てた出来事でした。今は近代的になっていますが、当時のモスクワはソ連が崩壊してまだ間もない頃で、小説に出てくるような薄暗く寒々しい雰囲気でした。そういう経験はロシア音楽を弾く上でもインスピレーションの基になっているので、その時代にロシアに行けたのは良かったと思っています。」


そしてピアニストとしての拠点となるフランスへ。


「母が仏文科だったのでフランスに行ったことがあり、家でフランス語の勉強を続けていたので、フランスという国が身近にありました。ドビュッシーやラベルなどフランスの音楽が好きで、ショパンも人生の半分をフランスで過ごしていたことによって、小さい頃からフランスに憧れがあり、フランスを留学先に選びました。


日本では先生の言うとおりに弾くことが良しとされるところがあるのですが、フランスだと先生が弾いてくれてそれを良いと思ってもそのまま弾いたら他人のコピーでしかない、自分の中で消化して自分の表現をしなければならないということを教わりました。個性や自分の意見を持つことが大切だということは実生活の中でも同じで、自分の考えや主張を持っていないと飲み込まれてしまうようなところがフランスにはあります。音楽家として生きていくには、個性や、“自分はこれが表現したい”というものが必要なので、ピアニストとしてフランスから良い影響を受けられたと思っています。」


憧れのピアニストの前で優勝

プロのピアニストとして第1歩を踏み出す

1999年、何年も練習と自己研鑽を続けてきた日々の努力が実ることとなる。パリ国立高等音楽院を審査員全会一致での首席卒業、そして憧れのピアニストの名を冠したコンクール、マルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクール優勝。


「コンクールは必要なものだとは思うのですが、私自身は、音楽は個性や自分の表現したいものを出すものであり、点数で競うものではないという考えなのでコンクールが嫌いでした。でもアルゲリッチは、私が小さい頃から憧れていた人、私のアイドルだったので、その人の前で演奏できることが嬉しかったです。本当に来るのか不安に思いながらも、一次予選から全部聴いてくれて、勝った後もとてもやさしい言葉をかけてもらえて本当に幸せでした。そのコンクールがきっかけで、色々なところでコンサートをさせてもらえることとなり、私にとってピアニストとしてとても大きな出来事でした。」

*マルタ・アルゲリッチ 1941年生まれ アルゼンチン・ブエノスアイレス出身。世界で最も評価の高いピアニストの一人。日本とのつながりも深く、1970年の初来日以来度々来日、1998年からはアルゲリッチを総監督とする「別府アルゲリッチ音楽祭」が毎年開催されている。


ハプニングも多いピアニスト生活

現在はパリを拠点に世界各地で演奏を続ける日々。時には標高2800メートルの山で弾くこともあれば、頭を布で覆い耳を隠して弾くこともある。


「旅行は好きなのでできるだけ見て回りたいのですが、空港とホテルとコンサート会場しか行けないことも多いです。それでもたまに観光や買い物をする時間がある時は演奏に影響が出ない範囲でその国を見たいと思っています。特にどうしても見たかったのはイランで、音楽にはイスラムから影響を受けたものもあり、実際に見てみないとわからない色や光などを肌で感じられたのは、自分が音楽を表現する上で良かったです。


イランでは政府の人が服装をチェックしに来て、肌や髪、体のラインを出してはいけないし、ヘジャブをかぶって耳も隠してコンチェルトを弾かなくてはならず、聞こえづらいし暑くて大変で、普段自由に表現できる国でのありがたさを感じました。でも、イランの人々は文化的に教養もあり、ありがたく聴いてくれているのが伝わってきたので、どんな国でも音楽を通して感動を分かち合えるのは素晴らしいと感じました。」


旅にハプニングは付き物。ピアノの前に座る前に色々なことが起きる。


「オランダでコンサートをやる時に電車で行ったのですが、携帯電話を忘れてしまって、そんな時に電車が遅れて、主催者に連絡もできず、オランダ語もわからない、どこで弾くのかもよくわかっておらずどうしようか困ってハラハラしてしまったことがあります。他にはデュオで演奏する相手のチェロリストが飛行機のチケットが取れずに直前に着いてリハーサルをしないで弾かなければならなかった時もありますし、バイオリニストと一緒にコンサートをやった時には、バイオリニストのトランクが届かなくて、彼女は楽譜もドレスもスーツケースの中に入れていてコンサートまでに届くかわかりませんでした。ドレスは私のものを貸してあげて、楽譜は私が持っていたピアノ譜と一緒になっているものから拡大コピーして、バイオリンのパートをハサミで切って別の紙に貼る作業を何時間もやったこともあります。結局コンサート開始直前にスーツケースが届いたのですが・・・(笑)」


知られざる名曲を届ける

2018年にリリースした「セルゲイ・リャプノフ『12の超絶技巧練習曲 op.11』も各国を巡る日々があってこそ選曲につながった。


「他のピアニストが弾くような同じ曲ではなく、あまり知られていない隠れた名曲のような作品を取り上げていきたいというのは以前から思っている事で、これまでにもアルカンなどを取り上げてきました。そうすると、マニアの人から曲を勧められることがあるんです。オランダで演奏会を開いた際に、リャプノフのエチュードを勧められました。録音されたものがとても少ないし、音楽的にも私に合っているから全曲録音したらどうかと言われたのですが、もの凄く難しい曲だと知っていたので、私には関係ないものと思って流していました。一年程経ってから、改めて楽譜を見てみると、確かにこれならインスピレーションも広がって何か私にもできることがあるかもしれないと思って始めたところ、全部好きになってしまって、レーベルのディレクターの人に話をしたらそのアイディアを気に入ってくれて話が進みました。色々な方からアイディアを頂くので、その中から気に入った曲をやっていきますが、基本的にはあまり知られていない名曲を紹介していきたいという想いがあります。」


*2007年「風 〜ショパン&アルカンを弾く」をリリース。アルカンも知る人ぞ知る超絶技巧の難曲

300年続く価値を全ての人へ

「美しいものを見たり聴いたりすると心が豊かになりますし、私も演奏を通じて人にそう感じていただけたらいいなと思っています。心が疲弊してしまうと人生において重要な判断を間違ってしまうこともあると思うので、感動するものに触れる事は大事だと思います。私もボードレールの詩が大好きなんですが、詩を読むと違う場所へ連れて行ってもらえるというか、詩の雰囲気に包まれて幸せな気持ちになれるので、日々美しい芸術に触れるのは大事なことだと思います。」

* シャルル・ピエール・ボードレール 1821-1867 フランスの詩人、評論家。広瀬さんが特に好きなのは詩集『悪の華』


「クラシック音楽は200年、300年経っても人を感動させる価値を持っています。コンサート会場には若い年代の方は少ないので、若い人にももっと聴いてもらいたいと思っています。良い演奏に出会って少しでも何かを感じて欲しいですね。


コンサートに足を運べない方々のためには、こちらからうかがって聴いていただく活動を私も時々やらせていただいています。クラシック音楽というのは、特定の人だけでなく、どの人にも恩恵があるものだと思いますし、敷居無くみんなが享受できる環境になるといいなと願っています。


今回のリャプノフのCDは、『超絶技巧』というタイトルを聞いたらひいてしまうかもしれませんが、一曲一曲タイトルがつけられていて、練習曲というよりは詩集と呼びたいくらいそれぞれの曲が独自の世界を繰り広げていて、一曲一曲に物語性があります。自分の経験や思い出を重ね合わせて聴いていただくと聴きやすいのではないかと思います。」


クラシック音楽の恩恵を全ての人へ。隠れた名曲にも光を当て、現代に花開かせる。


「ピアノというのは、オーケストラに匹敵する程の、表現の可能性を無限に秘めた楽器で、その奥深い世界を一生かけて追求していきたいと思っています。」

Profile 広瀬悦子 /Etsuko Hirose

3歳よりピアノを始め、弱冠6歳でモーツァルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」を演奏。1992年モスクワ青少年ショパン国際ピアノコンクール優勝、日本および台湾にて10数回のリサイタルを開催。ヴィオッティ国際コンクールとミュンヘン国際コンクールに入賞後、1999年マルタ・アルゲリッチ国際コンクールで優勝。1996年パリ・エコール・ノルマル音楽院、1999年パリ国立高等音楽院を審査員全員一致の首席で卒業し、併せてダニエル・マーニュ賞を受賞。世界各国でリサイタルや音楽祭に参加。2001年デュトワ指揮NHK 交響楽団との共演をはじめ、バイエルン放送響、オルフェウス室内管ほか国内外のオーケストラと数多く共演。2007年4月、ワシントンD.C. のケネディセンターでリサイタル・デビュー。コロムビアミュージックエンターテインメントやMIRAREからCDがリリースされている。スケールの大きな音楽作り、美しい音色、幅広いレパートリーが高い評価を集め、世界に活躍の場を広げる期待のピアニストである。 

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【今後の国内での演奏予定】

印象派の巨人クロード・ドビュッシー~音楽と言葉で感じるひととき~

【日程】2018年11月22日(木)開場13:30/開演14:00

【会場】千葉市美浜文化ホール2F音楽ホール

【料金】2,000円(税込・全席指定)※就学前児入場不可

【出演】広瀬悦子(ピアノ)/田中泰(ナビゲーター)

公演詳細


撮影協力

ヤマハグランドピアノサロン名古屋

ヤマハ名古屋ビル4階に展開するヤマハグランドピアノのショールーム。ヤマハピアノアーティストサービス東京のコンサートチューナーが本社工場でこだわり抜いてセレクトした世界最高峰のラインナップを展示。

愛知県名古屋市中区錦1-18-28 ヤマハ名古屋ビル4階

営業時間10:30~19:00 (定休日 毎週火曜日 *火曜日が祝日の場合は営業)



Editor’s Note

広瀬悦子さんのことを知ったのは2016年のラ・フォルジュルネ東京でのことでした。

その後、あるコンサートで聴いた広瀬さんによる「リスト編曲 ベートーヴェン交響曲第五番〜運命〜」の圧倒的な演奏に、個人的な経験の中でピアノを聴いて初めて「またこの人の演奏でこの曲を聴きたい」という思いに駆られました。そしてまた別のコンサートでのこと。リストやショパンの曲を華麗に弾き、休憩後のコンサート後半は一時間近くほぼぶっ通しで演奏。拍手の中、再びピアノの前に座りアンコール曲へ。

最初の休符による一瞬の静寂の後、ダダダダンッと耳に聞こえきた時の驚きが印象に残っています。全身全霊をかけて弾いていたような圧巻の演奏の思い出から、「あれを今からやるのか!」と驚異的な体力、精神力に素人の私は衝撃を受けました。

今回インタビューを受けていただいたのは、コンサートを開催された地元名古屋。

撮影にご協力いただいたヤマハのショールームでは、何台ものグランドピアノに囲まれて、ピアノと共にたくさんの時間を過ごしてきた広瀬さんを撮るのにぴったりの環境でした。ピアノが綺麗すぎて周りの物が鏡のように映り込み、難しい環境でもありましたが。広瀬さんは撮影後、試弾もされ好感触を得られていらっしゃいました。お話させていただいた折に、あの衝撃的な思い出、リスト編曲運命のアンコールのことをお伝えすると、「あの曲は6ヶ月くらいかけて仕上げた大変な曲で、弾けるうちに弾いておきたかったから」と笑って教えてくれました。その気持ちは、私にもよくわかりました。(H)

Seven Seas Stories

7つの海を渡り世界を巡る人々の 人生のお話

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